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1月8日に紹介した「英語の発想(安西徹雄)」を読み返してみました。前回の引用は十分ではなかったので追記しておきます。

第5章で英語の受動態と日本語の受身を比較検討した結果、両者には違う面もありながら大いに重なり合う面があることを確認して、以下のように締めくくっています。
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どれほど異質であろうとも、日本語も英語も、しょせんは人間の言葉である。まったく非連続であるはずはない。相違と同時に共通の面も実は大いにあることを忘れては、全体についての判断のバランスを失い、木を見て森を見ないどころか、下手をすれば、妙にゆがんだ言語的国粋主義に陥る危険さえなくはない。いや、それより何より、もしかりに、日本語と英語が完全に非連続であるのなら、そもそも比較対照するということ自体が無意味だろうし、第一、はじめから翻訳などという操作すら不可能なはずではないか。われわれが今まで追及してきた対比というのも、実は、この基本的な連続という大前提の上に立って、はじめて意味をもつことだったのである。
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情況から離れたところに視点を固定した英語と、情況密着型の日本語を比較し、だからアメリカ人はイラク戦争のような残酷なことが平然とできるのだという結論を導いている議論を見かけます。

そういう議論を読んだとき思ったのは、英語で本を読んでも主人公に共感することができるという事実を論者は忘れているのではないか、ということでした。たとえばミステリーを読んでハラハラ・ドキドキできるのは、言語構造としての視点に関係なく、意識や感覚は情況に密着しているからだと感じていました。「英語の発想」を再読して、私が感じていたことは間違ってはいなかったと思いました。

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